大祥忌を終えて
2012年 03月 23日
3/21は、父の三回忌でした。
三回忌は、大祥忌(だいしょうき)とも言われるそうです。
幸いを意味する「祥」の字がついているのは
仏様の弟子となられた故人を慕い、親族や知人が変わらず集えることを感謝する場でもあるためなのでしょう、とのこと。
亡くなった者の供養と、生きている者の供養。
ちなみに、一周忌は小祥忌というそうです。
大祥忌を過ぎると、忌明け。
服装ばかりでなく、気持ちも。
すべてのものは、移ろい、常に変化しています。
「諸行無常」そして「諸法無我」
この世で永遠というものは無い。生じたものは常に変化し、いずれすべて消え行く、という仏教の教えです。
ということは、何かに固執してしまうのは、とても愚かなことなのでしょう。
けれど、悲しみや痛みが大きすぎたりすると、そこに停まってしまうときがあります。
それはきっと、それを消化するのに必要な時間です。
時がくれば、心が変化してまた進んでいけるようになるのでしょう。
3.11から1年が過ぎました。
動いていること、動けないでいること、いろいろな状況の中で
残された私たちは、次の世代のために何をすべきかを真剣に考えなければなりません。
私たちの選択が、未来のこどもたちの運命を左右します。
よりよい未来のため、正しい選択をするため、賢くならなければ、と思います。

父の命日に合わせるように初めて花をつけました。
すもも?いくり?何だろう。
父が接木した木。美しい。
三回忌は、大祥忌(だいしょうき)とも言われるそうです。
幸いを意味する「祥」の字がついているのは
仏様の弟子となられた故人を慕い、親族や知人が変わらず集えることを感謝する場でもあるためなのでしょう、とのこと。
亡くなった者の供養と、生きている者の供養。
ちなみに、一周忌は小祥忌というそうです。
大祥忌を過ぎると、忌明け。
服装ばかりでなく、気持ちも。
すべてのものは、移ろい、常に変化しています。
「諸行無常」そして「諸法無我」
この世で永遠というものは無い。生じたものは常に変化し、いずれすべて消え行く、という仏教の教えです。
ということは、何かに固執してしまうのは、とても愚かなことなのでしょう。
けれど、悲しみや痛みが大きすぎたりすると、そこに停まってしまうときがあります。
それはきっと、それを消化するのに必要な時間です。
時がくれば、心が変化してまた進んでいけるようになるのでしょう。
3.11から1年が過ぎました。
動いていること、動けないでいること、いろいろな状況の中で
残された私たちは、次の世代のために何をすべきかを真剣に考えなければなりません。
私たちの選択が、未来のこどもたちの運命を左右します。
よりよい未来のため、正しい選択をするため、賢くならなければ、と思います。

父の命日に合わせるように初めて花をつけました。
すもも?いくり?何だろう。
父が接木した木。美しい。
by pokapoka-natural
| 2012-03-23 23:14
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